2010/02/07

『菅原伝授手習鑑』「車引」その3


先日は『菅原伝授手習鑑』全体のお話について書き(こちら)、その次に『菅原伝授手習鑑』「車引」の上演形式について書きましたので(こちら)、今回はやっと「車引」について。

2010年1月 歌舞伎座 夜の部


『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』 「車引(くるまびき)」 



「梅王丸か」
「桜丸か」

まず現れるのは、編笠を深くかぶった男2人。互いの名前を呼びあい、知っている者同士のようす。実は、この「梅王丸」と「桜丸」は、三つ子の兄弟のうちの2人。もう1人の(ここに登場していない)兄弟は、「松王丸」。

松竹梅…でないのが残念ですが、この松梅桜の三つ子ブラザーズ、実は、それぞれ敵・味方に分かれてしまったというツラい境遇にありました。梅王丸は右大臣・菅原道真につかえており、桜丸も菅原道真の娘の恋人・斎世親王(ときよしんのう)につかえている。なのに、なんの運命のイタズラか、松王丸だけが、菅原道真を九州に流罪にさせた憎き敵、左大臣・藤原時平(ふじわらのしへい)につかえていたのです。

そんなわけで、「我らの菅原道真さまを九州に左遷させやがった藤原時平(ふじわらのしへい)め!許せん!」と怒りまくる梅王丸と桜丸の前にトツゼン現れたのが、一台の車(と言っても、牛に引かれてきた御所車ですが)。なんと、この車には、憎き敵・藤原時平(ふじわらのしへい)が乗っており、今から吉田神社にお参りに行く最中、ということが判明! そうときたら黙っておれない梅王丸と桜丸。「よい所ででっくわした!」「サァ、来い来い来い!」と、車に向かって殴りかかろうとするのですが…。



何が楽しいって、この、敵対しあった者同士の悪態悪口罵詈雑言。これぞ、歌舞伎の美味部分! 「火事と喧嘩は江戸の華」とか言われますけど、ホントに胸がスーッとするような…っていうか、単にセンス良すぎてプッと笑っちゃうような悪態。そういうある意味で「どうでもいいようなこと」を、膨大なお金と時間を労力と知恵を重ねて芸術(芸)の域にまで高めた(しかも超真面目に)ところに、歌舞伎のありがたさや楽しさがある! と、私は思います。たとえば、


桜丸 「無念骨髄に徹し、出会うところが百年目!

梅王丸 「位自慢に喰らい太った時平の尻こぶら、二つ三つ、五六百、喰らわさにゃア堪忍ならねえ!


とか、こんなことをいちいち美しいキメキメポーズをとり(歌舞伎では「見得をする」と言いますけど)ながら言う、そのありがたさよ。

だいたい、「位(くらい)自慢に、喰らい(くらい)太った、時平(しへい)の尻こぶら」って(笑)。駄洒落ですね。おのれの地位にふんぞりかえってメタボってるムカつくおっさんの尻を5~600発なぐってやる! みたいな感じで、そんなおっさんの尻とか考えたくないし、5~600発はさすがに多すぎだろ、とか思ったりしてると。

ドロドロドロドロドロドロ~~と、妖怪変化などが登場するときの音が鳴り、何何何? と思ってるうちに、イキナリ車が四方に踏み破られ破壊され、中から現れたのは物凄い形相の化けもの……と思ったら、ハイ、藤原時平(ふじわらのしへい)、ドーン!


時平 「ヤァ、牛扶持(うしぶち)喰らう青蠅(あおバエ)めら! 轅(ながえ)に止まって邪魔ひろがば、轍(わだち)にかけて、ひき殺せ! エエ!!


キャー!! カッコイイ!!!! 1月の歌舞伎座では、この時平を中村富十郎さんがやってましてね、あの西洋の血が入っていると噂された伝説の美男子15代目市村羽左衛門の孫であり、(2代目宗家)吾妻徳穂さんのご長男であり、御年80歳であり、人間国宝であり、67歳の時に33歳の美女と結婚した方であり、70歳と74歳でお子様まで作った方でありありなわけで、ちょっとフツーじゃない……じゃなかった貫禄が違うんですよ! 現れただけで「キャー!」なのに、このセンス良すぎる悪態! 「牛扶持(うしぶち)喰らう青蠅(あおバエ)めら!」って、イマイチ意味わかんないけど、もうこうなったら1度は言われてみたい!!


というわけで、最後は、神聖なる神社の前でオマエら(梅王丸と桜丸)を殺すわけにはいかないから今は助けてやる、ということになるのですが(意外と優しい敵だな)。その時の時平の悪態がまたイカす。以下。(駄洒落)


時平 「命冥加(いのちみょうが)な、蛆虫(うじむし)めら!!


キャー! 「命冥加(いのちみょうが)」って! 演歌っぽい(笑)! なんてことはともかくとして、悪態をつきまくる時平(中村富十郎)に、血気盛んな梅王丸(中村吉右衛門)と桜丸(中村芝翫)、そして雄雄しい松王丸(松本幸四郎)と、役者もゴーカ。一触即発の4人、彼らがカレイ(華麗)な見得をし、ゴージャスでダイナミックな絵面(えづら)を残して、幕。ああ、楽しすぎました…(疲労)。



しかし、ちょっと思ったんですけど、藤原時平、車から出てくるとき、思いっきり自分の車ぶっ壊して出てきちゃってたけど、その後大丈夫だったのかなぁ、しかも、思いっきり自分の車破壊して出てきた後、悪態つきまくる間ずーっと自分の車の屋根の上に乗っかっちゃってたけど…、自分の車はもっと大切にしたほうが…なんてちっちゃいことを考えるのは、シモジモの青蠅や蛆虫の考えることなのかもしれませんね。 





2010/02/03

『菅原伝授手習鑑』「車引」その2


昨日は、『菅原伝授手習鑑』についてザッと述べただけで終わってしまいましたので(こちら)、続きです! 

2010年1月 歌舞伎座 夜の部


『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』 「車引(くるまびき)」 

で、「車引」。って、何だか、ヘンなタイトルですよね。私なんかは、未だに「ヘンなの」って思います。だって、車って引くもんじゃないし、とか、車を引くなんてタイトルとしてダサいし、とか。だけど、チラシとかものの本を見ると「そんなこと気にするヤツぁ野暮だよ」と言わんばかりに、何でもない顔してサラッと「車引」って書いてある。ふり仮名さえついてない(「くるまびき」、です笑)。この感じ、この阻害される感じ、隔絶されている感じ、容易に全てを分からせてくれない感じ、コレですよ~、コレがいいのですよね! 前にも書きました(こちら)けど、「謎」があってこその「快楽」、ですから! 最初からすべてが理解できちゃうことから、どんな快楽が得られようぞ?

なんてことを得意気に知人に話してたら、「そんなことよりも前にさ、この「車引」と『菅原伝授手習鑑』はイコールなわけ? そもそも、「車引」は『菅原伝授手習鑑』の何なのよ?」と、言われました。た、確かに。それ、重要。



「車引」とは、『菅原伝授手習鑑』という長いお芝居のうちの、ある一場面(たいてい、四幕目)につけられた名前です。

実は、現在の歌舞伎座などの公演では、ひとつのお芝居を最初から最後まで上演するのではなく、あるお芝居のなかの人気のある場面だけを抜粋して、それを3~4つまとめて上演する、という「見取り(みどり)」という上演方式をとっているのです。これは、できるだけ多くの客を呼ぶために江戸時代中頃から始まったシステムだそうですが、明治時代に入って松竹が歌舞伎役者や劇場を傘下におさめるにつれて習慣化していったのだとか(上村以和於・著『歌舞伎百年百話』参照)。ちなみに、国が運営している国立劇場で歌舞伎が上演される時は、ひとつのお芝居を最初から最後まで「通し」で上演することが多いです。



でも、この「見取り」方式って、歌舞伎をある程度見ている人にとっては「名場面だけたくさん見られてラッキー」って感じですけど、歌舞伎を知らない人にとってはかなり不親切ですよね。ある場面だけイキナリ見せられても、「この主人公はなんでこんな行動をとってるんだろ?」「この人とこの人はどんな関係だ?」「っていうか、このお芝居は一体、何の話?!」と、チンプンカンプンになる可能性、大。

と思ってたら、案の定、ネット上で、「歌舞伎の『車引』を観たのですが、何が何だかさっぱりわかりませんでした」、という素直な書き込みを発見。…そ、そうですよね…。おっしゃるとおりかと…。



でも。私などは、そのチンプンカンプンさがこそが面白い、と思うのです。「何だかよくわからないもの」が、目の前で、堂々と、平気な顔をして存在している! という、今の世にあるまじき、その不遜さ。高慢さ。その貴重さ。有り難さ。

今の時代って、「わかりやすいもの」が幅をきかせていますよね? 「何だかよくわからないもの」に混乱されることへの耐性がないためか、複雑なこともムリヤリ「わかりやすいもの」に仕立て上げられ、それが歓迎される。で、気がついたら本来のものとは全然別のものになってしまい、別のものとして受け取られてしまう。その結果、さらに別の混乱や誤解が起こる。

そう、たとえば、『菅原伝授手習鑑』を「わかりやすく」まとめたあらすじを読んで、私が「つまんなそう」と思ってしまったように(こちら参照)。



「何だかよくわからないもの」に出会った時は、まずはそのまま「何だかよくわからないもの」として受け入れるのが一番なのだな、と、最近つくづく思うのです。理解したり納得したりするまでの、その過程こそが「快楽」なのだから、最初から理解したり納得したりする必要はない。実は、「何だかよくわからなかった」という状態こそが、「快楽」のはじまり! そう考えると、歌舞伎ほど「快楽」が待ってくれているものもなかなかないものだと思います。ホントに(誉めてるのか?)。

そんなわけで、次回は、「車引」の「何だかよくわからなさ」を、どのように「何だかよくわからないもの」としてそのまま受け入れ、楽しむか? について書きたいと思います。「いや、ホントはとっても簡単でわかりやすいんですよー!」とは書きません(ていうか、私自身、そんなにわかってない)。というわけで、続く♪






2010/02/02

『菅原伝授手習鑑』「車引」その1


歌舞伎座にはほぼ毎月行ってはいるものの、更新が滞っておりました…。歌舞伎座も残すところあと3ヶ月。歌舞伎座立替え工事のため、今年の4月から3年後の2013年春まで、歌舞伎座閉鎖。…ホントに悲しいです。

とはいえ、その間、歌舞伎公演が行われないというわけではなく、日本各地での公演は今まで通りあるでしょうし、ウワサによると、東京都内では新橋演舞場や国立劇場が主な舞台になるという話なので、これからも歌舞伎を楽しむつもりです〜。これで終わりじゃないですよ〜。なんてエラソーなこと言ってるヒマがあったらサッサとブログ更新しろ、というわけで、先日見に行った歌舞伎座夜の部、「車引」について。

2010年1月 歌舞伎座 夜の部


『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』 「車引(くるまびき)」 


今年1月の演目の中で一番楽しみにしてたのが、コレ! そして、今月の演目の中で一番面白かったのが、コレ! 

とか言いつつ、自分という人間の変わり身の早さにあ然とするのですが、実は私、昔はこの『菅原伝授手習鑑』という演目が嫌いでした。

だって、「「勉強の神様」「受験の神様」で知られる天神様(てんじんさま)こと菅原道真(すがわらのみちざね)が、上司にイジメられて左遷させられるという平安時代に起こった事件を軸に、彼をめぐる人々の親子や忠義の情愛を描いた物語」って、そんなふうに説明されて、「キャ~~面白そう!!」って、思えますか? 私は思えませんでした…。

何しろ、受験の神様も、職場のイジメも、親子の情愛も、若者にとってはどれもリアルにうっとおしいネタじゃないですか(笑)? なので若かりし頃の私は、単純に「つまんなそう。しかもやたら長いし」と、『菅原伝授手習鑑』関連の演目は、見に行かなかったり、TV放映も見なかったり。つまり、「避けて」ました。

ところが…です。解説を前もって読んでそれを鵜呑みにしてしまうと、ホントに大きく間違える。それが、歌舞伎。

もちろん、「菅原道真が九州に左遷される」という平安時代に実際にあった事件を軸にしていることは、間違っていません。でももっとちゃんと、正確に言うならば、「菅原道真が九州に左遷される」という大枠さえ守っていれば、その中身は何だってOK、ということでもある。それが、歌舞伎。

というわけで、まずは、菅原道真が平安時代のヒトであるという事実を、軽~くシカト。道真の養女は日本髪(江戸時代からの髪型です)を結ってるし、道真の息子は寺子屋(江戸時代にできた庶民のための教育施設です)にかくまわれてるし、道真の部下の息子はイキナリ飴売り(江戸時代に流行した職業です)になってるし、道真の養女なんて親王(天皇の息子です)と逢い引きしてたり、と、やりたい放題。

いや、時代設定や人物設定をシカト、というだけならまだわかるんですが。さらにその上には、人倫の道さえも、シカト

たとえば、この『菅原伝授手習鑑』のなかでも一番有名な場面で、明治時代になって初めて天皇陛下が(庶民の娯楽であった)歌舞伎をご覧になった(=これを「天覧歌舞伎」と言います)時にも演目として選ばれたという、「寺子屋」という場面、これなんて、道真の部下の息子のひとりが、道真の息子の命を救うために自分の実の子の首を切って差し出す、なんていう「え?」な話で、しかもそれを「涙なしには語れない感動ストーリー」として描くことに成功している、というありえなさ。

それが、歌舞伎。

っていうか、いいのか? それで? 歌舞伎よ? と、語りかけずにはおれない、歌舞伎の代表的演目『菅原伝授手習鑑』。については、長くなってしまったので、次回に続きます♪ (「車引」について全然語れていない…)