2009/07/17

『海神別荘』



2009年7月 歌舞伎座 昼の部


『海神別荘(かいじんべっそう)』 


私の神であり、MG(マイ・ゴッド)こと泉鏡花先生のとんでもない戯曲の舞台化、それが『海神別荘(かいじんべっそう)』です。原作だけでも十分「?!」なのですが、それが実際に役者に演じられるとさらに「?!?!?!(笑)」なカンジに。3年前に歌舞伎座で見たとき、あまりの感激のためにブログで長文レポートするはめになったので、ぜひそちらもご覧ください→こちら

と、それだけで終わりにしたいのは山々なんですが、せっかくなのでこちらでもサラっと書きます。っていうか、サラッと書けないんですよね~~。あまりに世界が濃すぎて、っていうか好きすぎて。



主人公は、海老蔵ふんする「公子(こうし)」。海の底に住む、王子さまです。ちなみに、竜宮城の乙姫さまの弟にあたるのだそう(笑)。で、この公子さまがまた濃いキャラクターで、彼のやりたい放題&言いたい放題っぷりが、この作品の見どころ(たぶん)。

この王子さま、陸に住む人間の女、玉三郎ふんする「美女」(という役名ですが、何か?)に一目惚れ。「どうしてもあの女を自分のものにする!」ということで、強引に自分の妻として迎えることに。どこの国も王子さまっていうのは、無邪気にワガママですね(笑)。

で、その美女が白竜(という動物です念のため)に乗ってユラユラと海の中をやってくるようすを、公子たちはマジックミラー(のようなもの)でじっくりご鑑賞。と、そばにいた僧が、公子に向かって、「あんなふうに道中して来るようすは、まるで罪人として市中を引き回しになった女のようで、不吉だ… まるで、恋しい男に会いたいばかりに放火して磔(はりつけ)になった、八百屋お七のようじゃないか…」と、不吉発言。それを聞いた公子、キリリとした顔で、

「(八百屋お七は)私は大すきな女なんです。御覧なさい。どこに当人が嘆き悲しみなぞしたのですか。人に惜しまれ可哀(かわい)がられて、女それ自身は大満足で、自若(じじゃく)として火に焼かれた。得意想うべしではないのですか。なぜそれが刑罰なんだね。もし刑罰とすれば、それは恵(めぐみ)の枝、情(なさけ)の鞭だ。実際その罪を罰しようとするには、そのまま無事に置いて、平凡に愚図愚図に生ながらえさせて、皺(しわ)だらけの婆(ババ)にして、その娘を終らせるがいい」(原文ママ)

ひゃ~~、バ、ババ…なんて思ってる間もなく、美女到着。が、もの凄くイカツい鎧(よろい)を身につけた公子を見て、美女、「おそろしゅうございます…」と怖がるばかり。そこで公子、またもやキリリとした顔で、

「はははは。私は、この強さ、力、威があるがために勝つ。閨(ねや)にただ二人ある時でも私はこれを脱ぐまいと思う。私の心は貴女を愛して、私の鎧は、敵から、仇から、世界から貴女を守護する。弱いもののために強いんです。(中略)女の身として、やさしいもの、媚(こび)あるもの、従うものに慕われて、それが何の本懐です。私は鱗をもって、角をもって、爪をもって愛するんだ。 …鎧は脱ぐまい、と思う」(原文ママ)

ふわぁ~~、せっかく美女が目の前にいるのに、脱がないんだ…なんて呆れる間もなく、美女は大きな椅子に導かれ、その大きな椅子がなんと海の宝石「珊瑚」でできていることを教えられます。ビックリした美女、公子が自分の親に(身代金代わりに)贈ってくれた珊瑚の枝もかなりの大きさだったけど、その何倍もあるわぁ…うわぁ…とビビっていると、公子、またもやキリリとした顔で、

あれは草です。

ひょぇ~~、珊瑚は、草かぁ…なんて腰を抜かしている間もなく、美女は自分がもう「人間の体ではなくなり、人間からは単なる蛇体にしか見えない」状態になっているということを知り、嘆きます。悲しいことが大嫌いな公子は美女を慰めますが、美女はひたすら泣き続けるばかり。すると公子、またもやキリリとした顔で、

女、悲しむものは殺す。

ギョエ~~((c)楳図かずお)、悲しんだだけで殺されるーーと思う間もなく、美女は大きな碇にグルグル巻きに縛られて、磔(はりつけ)の刑。結局、美女は、八百屋お七のように処刑される運命なのか?! 公子、大きな剣をふりかざし、正面から美女に構える。危うし美女! と、

美女 「ああ、貴方(あなた)。私を斬る、私を殺す、その顔のお綺麗さ、気高さ、美しさ、目の清(すず)しさ、眉の勇ましさ。はじめて見ました、位の高さ、品のよさ。もう故郷も何も忘れました。早く殺して。ああ、嬉しい(ニッコリ)」

公子 「解(と)け」


えええ~~~~?! と思う間もなく、美女と公子は手に手をとって、ともに互いの血を落とした杯を飲み交わし。


美女 「ここは極楽でございますか」

公子 「ははは。そんなところと一緒にされて堪(たま)るものか。おい、

女の行く極楽に男はおらんぞ。

男のいく極楽に女はいない 


(幕)



ひゃ~~~~! としか言いようのない名(迷)セリフと凄まじい展開に、シビレまくり! 私にとっては、男がいようが女がいようが、こんなとんでもなく凄まじい作品(名(迷)言王子と面食い女の話)がこの世に名作として存在し、かつ大金をかけて舞台化されるという、そんな現実がすでに極楽!!! ここまで頑張って生きてきてよかった。この世の全ての人々と現象(?)に感謝します。



上記の演目、まだ上演中(7月27日まで)。この世の極楽を堪能するためにも、ぜひ皆さま、一幕見席でもいいので行ってみてくださいね! 海老蔵の滅茶苦茶な王子っぷり、必見です。






2009/06/10

歌舞伎座での花柳流舞踊会 ~カッコよすぎる仁左衛門と、凄すぎてよくわからないくらい凄い人について。


(以下の記事は、井嶋ナギブログ「放蕩娘の縞々ストッキング」にもアップしております)


前回(こちら)に引き続き、歌舞伎座でおこなわれた「三世宗家家元 花柳寿輔 三回忌追善舞踊会」についてです。




私が今回、最も楽しみにしていたのが、特別出演の15代目片岡仁左衛門さんと、3代目花柳壽楽さん(錦之輔改め)による、『連獅子(れんじし)』! 

って、先日、知人に「でね、そのとき仁左衛門がね」と話したら「誰ソレ?」と言うではないですか。「えーッ! 仁左衛門、知らないの? ニザエモン、だよ?! え、じゃあじゃあ、片岡孝夫は?!?! カタオカタカオ!!(意外と言いにくい)」なんてムキになってもしょうがないので、一応解説しておきますと。

15代目片岡仁左衛門(かたおか にざえもん)は、歌舞伎界きっての二枚目役者。仁左衛門という名前を襲名する前は、片岡孝夫という名前で、玉三郎さんとの美形コンビで評判をとっていましたし、映画俳優としても(→松本清張の『わるいやつら』ほか)、テレビドラマ俳優としても(→伝説の歌舞伎座テレビ制作『眠狂四郎 円月殺法』『眠狂四郎 無頼控』ほか)、さまざまに活躍していた二枚目役者です。



パンフレットの一ページ。
(自分のものを撮影しましたが、書き込みについては無視してください…)


で、片岡仁左衛門さんと花柳流は、実は、親戚関係にあるそうなのです。明治時代の講談師・3代目錦城斎典山には、数人の子どもがいました。そのうちのひとりの娘さんが「花柳流2代目家元・2代目花柳壽輔」と結婚し、もうひとりの娘さんが「13代目片岡仁左衛門」と結婚した。で、「花柳流2代目家元・2代目花柳壽輔」の娘さんが「花柳流3代目家元・3代目花柳壽輔」さんとなり、「13代目片岡仁左衛門」の息子さんが「15代目片岡仁左衛門(つまり現在の仁左衛門)」さんとなった。というわけで、現在の仁左衛門さんと、2年前にお亡くなりになった花柳流3代目家元は、いとこ同士だったのですね。

そしてさらに、今回、仁左衛門さんと一緒に『連獅子』を踊られた3代目花柳壽楽(じゅらく)さんもまた、同じ家系の方なのです。明治時代の講談師・3代目錦城斎典山には、数人の子どもがいました、というのは先にも書きました。そのうちの次男が、人間国宝にもなった舞踊家の2代目花柳壽楽さん。で、さらにその息子さんが、舞踊家の2代目花柳錦之輔さん。で、さらにその息子さんが、やはり現在、舞踊家として活躍していらっしゃる、3代目花柳壽楽さんと花柳典幸さんのご兄弟なのです。





というわけで(長かったですね…)、今回の『連獅子(れんじし)』は、その日のトリを飾る演目。15代目片岡仁左衛門さんが「親獅子」で、3代目花柳壽楽さんが「子獅子」。

『連獅子』という踊りは、歌舞伎と言えば、ということでよくイメージされる、長~い赤い毛をつけた頭をブルンブルン振り回す、アレです。だけど今回は、白塗りの化粧も、長い毛のついたカツラも、豪華な衣裳も、きらびやかな背景も、何にもナシ。つまり、素顔に紋付袴だけで踊る、「素踊り(すおどり)」でした。素踊りは、衣裳やカツラでごまかしがききません。カラダの動きが、そのままお客様に見えてしまうので、衣裳をつけるよりもある意味で難しいものなのです。

実は、歌舞伎役者さんだからと言って、みんながみんな素晴らしい踊りを見せることができる、というわけではありません。役者の本分は演技なのだから踊りは適度に…という方も、たくさんいる(らしいです)。そんなこともあってか、会場に集まっていらっしゃる、踊りに関しては一家言ありそうなクロウトな方々の「役者さんがどんな踊りをご披露されるのか、ひとつ拝見いたしましょ」的な、何百という目。ビーーンと音がしそうなほど張り詰めた、場の空気。

そんななかで披露された、仁左衛門さんと壽楽さんの踊りは……素晴らしかった…。素晴らしすぎるくらい、素晴らしかった…。正直申し上げて、私、仁左衛門さんについては、「カッコイイ」とか「二枚目」とか「美形」とか「セクシー」とか姿かたちについてしか言及してこなかった自分が、心底、恥ずかしくなりました。なんて浅かったんだろう、私。なんて表面的だったんだろう、私。とにかく熱い熱いお二人の踊りに、半泣き状態。

え? 感動しすぎ? そうですよねぇ、たかが踊りでね。でもたかが踊りだと言おうと思えば言えるからこそ、それにあそこまで魂をうち込む人たちの凄さや純粋さが、胸に迫ってくるのですよ。どんなに良いお家に生まれようが、どんなに美しく生れようが、一人で汗かいて泣いて努力しなかったら、あんなに熱い踊りを見せられるはずないのですから。



で、素踊りだからカツラはつけてないわけで、髪の毛は頭にきちっとなでつけていたのですが。熱演というか熱踊…とは言わないでしょうけれど、あまりに懸命に踊りすぎて、後半、仁左衛門さんの前髪がひとすじ乱れ、ハラリ…と、額に落ちてきた!! その美しく色っぽい風情と言ったら!!! キャー。ホンっト、カッコよかったです!

って、結局また仁左衛門さんの姿かたちに言及してますけれどもね、それはしょうがないと思うのですよ。何事にも、一長一短がありますよね。美しく生れた者は、美しさで得をするのと引き換えに、何をしても結局、自分の能力や努力とはあまり関係のない姿かたちのことばかり言及されてしまうものなのです。それは美しく生れてしまった者の、宿命。というわけで、65年も二枚目をやってきた「二枚目プロ」の仁左衛門さんなら、そんな私の凡人な心の動きも、きっと許してくださることだろうと思います。…たぶん。




歌舞伎座の楽屋口に祀られている「歌舞伎座稲荷大明神」。
(画像は、花柳美嘉千代先生よりいただきました)



それと、もうひとつ。私が今回見た踊りのなかで、一番「スゴイ…」と思った舞踊家さんは、長唄『木賊刈(とくさがり)』を踊られた、花柳寿彰さんです。スゴすぎて何がスゴイのかよくわからない、くらいの…。動きのシステムがよくわからなくて、ちょっとやそっとでは把握できないし、ただ歩いてるだけでも、不思議で玄妙な空気が立ちのぼってくるような…。

日本舞踊を見ていて、動きにメリハリがあってスゴイ! とか、エネルギッシュで圧倒された! とか、美しすぎて感涙! とか、そういう体験は何度もありますが、踊りを見ていて「謎めいていて何だかよくわからないのに、それが異様に気持ちよくて、もう何時間でも見ていたい」と思わせられてしまったのは、初めての体験でした。目の前に、大きくて魅力的な「謎」が立ち現れた! という感じ。ただただ、舞台に釘付け。

こういう方を「名人」と言うのだろうなぁ、と思い、私の師匠である花柳美嘉千代先生に聞いてみたら、花柳寿彰さんは、花柳流2代目家元・2代目花柳壽輔さんの芸を継承している舞踊家さんで、花柳流のなかでも別格の存在として知る人ぞ知る御方、なのだとか…。や、やっぱり。この世には、こうした私の知らない凄い人がたくさんいらっしゃるのだなぁ、と思うと、この世で生きていくのがまた少し、楽しくなったのでした。 





2009/05/27

玉三郎主演シネマ歌舞伎『牡丹亭』ついに上映!


シネマ歌舞伎、坂東玉三郎・中国昆劇合同公演『牡丹亭(ぼたんてい)』が、ついに上映されます! 




【みどころ】
以下、松竹・シネマ歌舞伎サイトより。

〈第1部〉ドキュメンタリー篇『玉三郎 16Days in 蘇州』
〈第2部〉舞台篇『牡丹亭』(2009年3月13日~15日 蘇州科学技術文化センター)

日本の歌舞伎よりも長い、600年という伝統を持つ中国の昆劇。2008年5月の北京公演に続き、2009年3月13日、昆劇のメッカである中国・蘇州で、坂東玉三郎が主役として客演した昆劇『牡丹亭』の上演が遂に実現、それはまさに日中の、いやアジアの文化的歴史的大事件となりました。前年の北京での台本に三つの場を付け加えた蘇州での公演は大成功、見事な中国語(蘇州語)のせりふと歌を駆使する玉三郎の迫真の演技に、中国の観客は酔いしれ熱狂的な拍手を送ったのです。

中国の多くの人々にとって衝撃的だったのは、中国の伝統劇である昆劇が、日本の歌舞伎の立女形によって新しい命を得たと感じられたことです。中国人が、日本人である玉三郎によって昆劇を再発見したのです。「梅蘭芳(メイランファン=20世紀前半の京劇の伝説的名優)が昆劇の舞台の上に蘇ったかのようだ。」「玉三郎は、日本だけではなく、もはやアジアの至宝だ。」

公演には中国のメディアが殺到し、翌朝の新聞、テレビは、おびただしい数の賛辞で埋まりました。坂東玉三郎は、北京と蘇州の公演を経て、中国でも一気に大スターとなったのです。

この伝説的公演を、日本の観客のみなさまには、シネマ歌舞伎特別篇『牡丹亭』として臨場感あふれる映像と音響にて、いち早く大スクリーンでご覧いただきます。今回は、蘇州科学技術文化芸術センターでの公演だけでなく、蘇州での玉三郎のすべてもカメラにおさめました。第1部(ドキュメンタリー篇)と第2部(舞台篇)の2部構成でお楽しみいただきます。ご期待下さい!!

【あらすじ】
『牡丹亭還魂記』は、代の劇作家・湯顕祖(とうけんそ)(1550~1616)の代表作であり、昆劇を代表する名作です。

南安太守の令嬢・杜麗娘(とれいじょう)は、春のうたたねの夢に柳夢梅(りゅうむんばい)という若者と出会います。瞬く間に恋に落ちた二人は、13人の花神たちの祝福の中で結ばれ、歓喜の時を過ごしますが、気がつけばそれらはすべて夢の中での出来事でした。夢の中での恋が忘れられず、柳夢梅への思いは日増しに募り、その思いのあまり杜麗娘は病に罹り、はかなくこの世を去ります。しかし、二人の愛はそれでは終わりませんでした。そのあと信じられない展開が…。

今回は、前年の北京での「遊園、驚夢、堆花、写真、離魂」に、「叫画、幽媾、回生」の三つの場を加え、美と情あふれる玉三郎&昆劇の世界を存分にお楽しみいただきます。






2009/05/26

歌舞伎十八番の内『暫』


2009年5月 歌舞伎座 昼の部


■ 歌舞伎十八番の内『暫(しばらく)』 大薩摩連中


いつの世でも人気があるのは、悪いヤツらをやっつけてくれる正義の味方、スーパーヒーロー。そう、『暫(しばらく)』の主人公、海老蔵ふんする鎌倉権五郎景政も、まさにそんなスーパーヒーローなのです! ……なんていう説明は、なんだか、もう、聞き飽きました……。そんなありふれた図式についていくら説明されても、「ふーん。で?」と思ってしまうのは、私だけでしょうか?


この歌舞伎十八番のひとつである『暫(しばらく)』に、面白さを見出すとしたら。それは、「ヒーロー」VS「悪いヤツら」というよくある図式にのっとりつつも、内実は、「そのなかで個々人にどれほどまでのヘンが許されるのか?」という実験の場になっちゃってるところ。です。(断言)


だって、いくら正義の味方でスーパーヒーローっていう設定だからって、暫のあの格好はないと思うんですよね。あまたある歌舞伎狂言のなかでも、群を抜く「ヘンさ」です(どれだけヘンかは、こちらの成田屋HPをご覧ください)。

だって海老蔵のあの美しい顔に、わざわざ赤い線を何本も書きまくって(「(くま)」と言いますけど)、頭にはカニの足みたいなのをいっぱいつけて(「車鬢(くるまびん)と言いますけど)、着物の袖に物干し竿みたいな棒を入れて、超巨大な真四角な袖にしちゃって(「大素襖(すおう)」と言いますけど)、しかも、その巨大な袖に家紋(市川団十郎家の三枡紋)までつけて、目立ちたい欲求すごい。

一方の敵もヘンな人たちばかりで、一番の巨悪は「清原」という人物なのですが(今回は左團次が演じてます)、これは「公家悪(くげあく)」といって、公家つまり貴族階級の極悪人。この人の着ているキモノは、貴族の装束なんですけど、そのキモノの正面ど真ん中に唐突に、龍(トラ?)の大きな顔マークがついていて、まるでタカ&トシのタカ(ボケのほう)がいつも着ているライオンマークTシャツのような印象に…。

敵のなかでも一番ありえないのは、ハゲ頭の通称「鯰坊主(なまずぼうず)」。頭はハゲているのに、両頬からのびてる長いヒゲ(?)は、乙女もうらやむロングの三つ編みに。しかも、海老蔵に向かってニラみをきかせるとき、そのヒゲの三つ編みを両手で握ってポーズ! って、乙女的なんだか自虐的なんだか。よくわかりません。


というわけで、それぞれがそれぞれのヘンを競うなか、互いに「やっちまえー!」みたいな感じで、善玉と悪玉の闘いという図式を無理矢理にキープしつつ話は進むのですが…、なんか、どっちも、言うことは威勢がいいんですけど、何しろ、あんまり、「動かない」んですよ、彼ら。威勢のいい言葉が飛びかえば飛びかうほど、「動かない」様子が気になって気になって(笑)。戦う気、あるのかー?


なんて思ってるうちに、アッという間に、鎌倉権五郎景政(海老蔵)が勝ったことになり、

鎌倉権五郎景政  「弱虫めら!
敵たち  「さらば!

完。

ですよー。もー。たまらないですねー。この呆気なさ。この自分勝手さ。

もしこの作品にメッセージがあるとしたら(ないと思うけど)、

善悪なんかどうでもいい、周囲の目を気にせず、我が道を行け!!

ですね。と、現代的な意味を(ムリヤリ)読み取ってみました。






2009/05/25

『神田ばやし』


2009年5月 歌舞伎座 夜の部


『神田ばやし』


今回は、昭和27年初演の比較的新しいお芝居、『神田ばやし』(作・宇野信夫)。
しょっぱなから告白してしまいますが。実は、私、この「比較的新しい時代につくられた歌舞伎のお芝居」というのが、ちょっぴり苦手でした…。だって、江戸時代につくられた作品に比べると、「驚き」や「謎」や「カオス」が足りないんですもの。私は歌舞伎に、「驚き」や「謎」や「カオス」を求めているので、現代人的な論理で描かれているものは、理に落ちすぎてしまって、もの足りなかったりして…。なので、この作品も実はそれほど期待していませんでした。


ところが。なんか、ヘンなんですよ! この話。っていうか、なんかヘンなんですよ、登場人物が。というか、主人公が。というか、海老蔵がヘン!!!!! 睨みをきかせたら日本一、天下の色男でありモテ男である海老蔵が、始終ニヤニヤしてボーッとしてシドロモドロしてモジモジしっぱなし。で、やっと口開いたよ!と思ったら、ネコちゃん(ぬいぐるみのあやつり人形)に話しかけてるだけ。あとは、酒飲んでニヤニヤしたり、自分の浴衣を洗ってくれてる片思い中のおみっちゃん(梅枝)をソッと戸の隙間から覗き見して、「キャ~~ッ!!(ボクの浴衣洗ってくれてる~~っ!)」と、コーフン状態

「え? これって、キモヲタ?」(って、キモヲタという用語について、私、全く詳しくないので、使用法が間違ってたらごめんなさい)



『神田ばやし』のあらすじ。モジモジ&オドオドして周囲から「アホ」だと思われていた留吉(海老蔵)。ある日、同じ長屋に住むおらく婆さん(市蔵)のお金が無くなり、大騒動に。そこに居合わせた留吉(海老蔵)、あまりのシドロモドロ&モジモジっぷりがあやしすぎて犯人と見なされ、金を返せと要求されてしまう。どうなる留吉(海老蔵)?! このままでいいのか留吉(海老蔵)?!

…っていうストーリーですが、結局、オチはあるようなないような、微妙なカンジでして。いや、一応はあるんだけど、でも、「歌舞伎的には、アレをオチとは言わないでしょう」というくらいの幽(かす)かなオチ。いや、近代劇としてはあれで良いのだと思うのですが、歌舞伎としては、つまり、ぶっちゃけて言えば、上品すぎる。知的すぎるんです。江戸時代だったら、あんな品の良いオチ、許されません。もっと泥くさく、ガツン!といかなきゃ!!

というわけで、もっと「ガツン!」とパンチの効いた江戸歌舞伎的オチを、考えてみましたよ! 以下! (註:以下、完全な妄想です)


長屋中の住人にアホだと思われ、万引きの濡れ衣を着せられた留吉海老蔵。しかし実ハ、留吉海老蔵は、お家断絶の憂き目にあった黒田家の御曹司だった!! そしてお金が盗まれたと大騒ぎしたおらく婆さんは、実ハ、黒田家を乗っ取ろうとしていた市蔵之介の、女装&自作自演だった!! そして、留吉海老蔵の浴衣を洗ってくれていた大家の娘おみっちゃん、ふと、キモノの懐から落ちたのは、黒田家の重宝「千鳥の香炉」! そう、実ハ、おみっちゃんは、海老留吉のいいなづけ・お光姫だったのだ!! 

正体を現したおらく婆さん改メ、市蔵之介! 斬りかかる留吉海老蔵! 黒田家の重宝「千鳥の香炉」を高く掲げる、お光姫!

おみっちゃん 改メ お光姫 「いざ!」
留吉海老蔵  「いかで許してなるものか!」
おらく婆さん 改メ 市蔵之介 「ナニをこしゃくな!」

バタバタ、バタバタ、バッタリ(引っ張りの見得)。
チョン、チョン、チョン、チョン、チョン、チョン……(見得のまま幕引き)。



…って、文章で読むと相当つまんなそうですけど、舞台にのせると結構イケるんじゃないかなと(ダメ?)。





『鴛鴦襖恋睦』通称「おしどり」


2009年5月 歌舞伎座 夜の部


■ 長唄・常磐津 舞踊『鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)』 通称「おしどり」


夜の部で一番楽しみにしていた演目、海老蔵&菊之助&松緑、名門若手3人によるゴージャスな踊り! そうそう、この3人、昔は「平成の三之助」って言われていたんですよね~(懐かしすぎ)。海老蔵は2004年まで新之助だったし、松緑も2002年までは辰之助で、菊之助とあわせて、「三之助」。年齢も、海老蔵と菊之助が1977年生まれで、松緑が1975年生まれ、という同世代。

海老蔵は二枚目キャラ、菊之助は美女キャラ、松緑は悪役キャラもしくは三枚目キャラ。そう、二枚目と美女と悪役or三枚目がいれば、たいていのお芝居は成立しちゃいますから、組み合わせとしてはとても素晴らしいのですよね。

そんな彼らも、もう30代。脂が乗り始める頃! といっても、歌舞伎界では30代なぞ、まだまだ「若手」もいいとこですが(いい業界!)。



で、しつこく言ってるように私は海老蔵の大ファンなのですが(笑)、でもでも。ハッキリ言って、踊りのときは、私の目は、松緑に釘付け、です!!! だって、松緑の踊りときたら、キレがあって、勢いがあって、メリハリがあって、活力に溢れていて、いつも「思わず息を飲む」ような芸を見せてくれるんだもの。スゴイですよ、あのヒトの踊り。

そう思ってたら、あの辛口批評で有名な渡辺保先生も、今月の歌舞伎座での松緑を「群を抜いている」と大絶賛(→こちら)。

実は、尾上松緑は、日本舞踊の流派のひとつ「藤間流」の家元。藤間流にはいくつか派があるのですが、そのうちの「勘右衛門(かんえもん)派」の家元で、家元としての名前は「6代目藤間勘右衛門」といいます。

さらに言うなら、今回上演されたこの『鴛鴦襖恋睦』の振付をおこなった故・2代目藤間勘祖も、藤間流のひとつ「勘十郎(かんじゅうろう)派」の家元で、家元としての名前は「6代目藤間勘十郎」だったのでした。って、既にもう名前的にややこしくなってますが…(たぶん「勘」が多すぎるんだと思う)。

ちなみに言うなら、この2代目藤間勘祖の元の奥様が、先日亡くなられた女優で舞踊家の藤間紫さん。13歳年下の市川猿之助と恋をして、40歳すぎてから一緒に暮らしはじめ、勘祖と離婚し、結局、77歳で猿之助と結婚されたのですよね。



と、そんな裏話はともかく。

すごく好きなのは、遊女・喜瀬川(菊之助)が、悪役・股野五郎景久(松緑)にむかって「イジのワルそなお顔つき」とイジワルを言い、二枚目・河野三郎祐安(海老蔵)にむかって「ほんに色白イイ男」とウットリするシーン。海老蔵と比べられちゃって、そんなヒドイこと言われちゃってムッとする松緑が、凄くカワイかった(笑)。松緑、いいなぁ。踊りもうまいし、野性味があって、愛嬌のある顔してるのに、ちょっと闇がある感じも好きだなぁ(笑)。

とか何とか言いながら!! ラスト、海老蔵は鳥の精に変身!(ここらへん、なぜ、河野三郎祐安という曽我五郎の父親にあたる人物が鳥になるのか? という謎もあるかと思いますが、「これが歌舞伎なのです」ということで今はとりあえず不問) その鳥になった海老蔵をオペラグラスで覗いてみたら、あまりに美しすぎるそのかんばせ。それだけで、「ギャー美しすぎる!」と思わず涙が出てしまった私、だったのでした。

美って、コワイ。ですね(笑)。




* 「鴛鴦襖恋睦」について詳しいサイトはこちら
* 猿之助さん、藤間紫さん死去に際して語る。こちら

(注:役者の敬称略)






2009/05/22

『夕立』


2009年5月 歌舞伎座 夜の部


■ 清元 舞踊 『小猿七之助・御守殿お滝 夕立(ゆうだち)』 


タイトルからイキナリ、「小猿七之助 御守殿お滝」と、人の名前らしきものが挙がってますが。たぶん、タイトルを見た人の97%はこう思ったに違いありません。

「誰?」

す、すみません、当時は誰もが知っていた名前だったんです…(なぜか私が謝る)。

というわけで、一人ずつ説明しますと、「小猿 七之助(こざる しちのすけ)」は、巾着(きんちゃく)切りの男。巾着切りとは、スリのこと。つまり「小猿 七之助」は、育ちのよくない小悪党(演じるのは、菊五郎)。

一方、「御守殿 滝川(ごしゅでん たきがわ)」は、大名の奥づとめの女。「御守殿」というのは、大名家にお嫁にいった徳川将軍家の娘のことで、それが転じて、その徳川将軍家の娘につかえる奥女中も「御守殿」と呼ばれていました。つまり「御守殿 滝川」は、気位の高いエリート女(演じるのは、時蔵)。

そんな身分違いの男と女がどうしたのか、って? そりゃあ、身分違いといえば、「恋」、に決まってるじゃないですか? 身分違い・育ち違い・境遇違い、なんでもよいけれど、バックグラウンドが違えば違うほど好奇心は増し、ロマンティックを投影する対象となる…って、そんなこと、この世の基本、この世の常識、この世の理(ことわり)ですよ(たぶん)。


というわけで、下世話な話で失礼しますが、御守殿滝川は小猿七之助に、道端で(!)、イキナリ「手ごめ」にされてしまうのでした。


その後の滝川ときたら、ポーッと上気した表情で小屋(?)から出てくるし、小猿七之助も手ぬぐいで首まわりの汗を拭きながら出てきて、滝川の首の汗もソッとふいてやる、みたいな調子で、「その後」の様子をジットリしっとり濃厚表現。気のせいか、周囲のおばさま方の扇子をあおぐスピードが上がっていたような…。

そんなワイルドでセクシーな小猿七之助に、メロメロになってしまった御守殿滝川。挙句のはてには、「女房にしておくれ〜」みたいなことを口走る始末。だ、大丈夫か? っていうか、止めたほうがいいって! ゼッタイ後悔するって! なんてことを言えば言うほど執着するに決まってるからあえて言いませんけど(観客席からだけど)。


しかし、エリート女もずいぶん馬鹿にされたもんですよね。なんかこう、男に免疫がないっていうか、ダメ男とかワル男とかに弱いとか、そういうステロタイプな描き方されちゃって。こういうのを見て、なんとなく溜飲を下げたような気がする男がいるかと思うと、なんかナットクいかないわ…と、別に自分はエリート女でもないのにムッとしてみたりする(笑)。


そんな私のフクザツな思いをよそに、舞台の二人はベタベタ三昧。で、二人でベッタリくっついたまま花道へ。そして、

ドレ、道行と出かけようか

という粋っぽい言葉を残して、ベタベタと去る二人。



以上、清元の名曲『夕立』にのって、踊りながらくり広げられるのでした。楽しい。






2009/05/19

『恋湊博多諷』通称「毛剃」


2009年5月 歌舞伎座 夜の部


■ 『恋湊博多諷(こいみなとはかたのひとふし)』 通称「毛剃(けぞり)

何しろ、タイトルが「毛ぞり」って(笑)。もし現代にこんなタイトルのお芝居があったら、私、絶対に見に行かないでしょうね。って、いや、ある意味「どんなのそれ?」的な興味で、あえて行くかも。っていうか、「え? あえて毛ぞりなの? 脱毛じゃなくて?」的なストイックさに惹かれて、率先して見に行くような気もしてきました。一緒に行ったアーティストの真珠子ちゃんもブログで、「どこの毛を剃ってたか、最後までわからなかったです」って書いてました(笑)(→こちら)。

っていうか、この作品、そんな毛な話じゃないんですけども(笑)。それに、「毛剃(けぞり)」っていうのはこのお芝居の通称でして、正式なタイトルは、『恋湊博多諷(こいみなと はかたの ひとふし)』。さらにもともとは、人形浄瑠璃がもとになっていて、近松門左衛門の『博多小女郎浪枕(はかた こじょろう なみまくら)』がオリジナルです。


この「毛剃(けぞり)」というのは、主人公の名前なんです。で、筋書き(パンフレット)を開いてみると、「頭の毛剃九右衛門(団十郎)が現れて~~」と書いてあり、「あたまの けぞり くえもん? またスゴい説明的な名前だな」と思ってたら、「頭」は「あたま」じゃなくて「かしら」、つまり海賊のリーダーって意味でした(笑)。

って、そんな毛の話じゃないんですよ! この作品は! えーと、私が面白かったのは、団十郎(海老蔵のお父さん)が演じる海賊のリーダー毛剃九右衛門が、恋敵である宗七(演じるのは坂田藤十郎)を海に投げ込んだ(つまり殺した)後、船の舳先につっ立ちます。で、何するかと思ったら、おもむろに両手をバッと上げ(=バンザイ!をし)、その手の平をピラッと裏返してから、ゆっくり両手を腰にあて(=体育の休めポーズをし)、グワーーッとあたりをニラむ。と、ここで、拍手喝采!!! え? 何何何? あわてて筋書き(パンフレット)を見たら、これこそが明治時代の大名優・九代目市川団十郎が創始したという、名高き「汐見(しおみ)の見得(みえ)」だったのでしたー。コレ、明治時代においてはイケてたのかな(笑)。あまりに大味な動作に、思わず笑ってしまったのは私だけでしょうか? しかし、この大らかさ、馬鹿馬鹿しさ(とあえて言いますけど)、いいなぁ〜。なごみます。この「汐見の見得」、私も今度マンションの4階のベランダからやってみよう。


で、その後、菊之助が演じる美しすぎる小女郎(職業も女郎)が登場し、さらに、海に投げ込まれて死んだはずの宗七が実は生きていた、と判明(ありがち)。そして、美しすぎる小女郎をめぐって対決する、男二人!!! …のはずだったのですが、結局、毛剃氏が宗七に「ワシらの海賊メンバーになれ」とスカウト、小女郎も「それがいいわ、そうなさいな」と後押し、「それじゃあ…」ってわけで、宗七は晴れて毛剃氏の海賊メンバーとなってめでたしめでたし! 終わり! 

…え、そんなんで、いいのか? 何がいいたいのかサッパリわからないこの作品(海賊メンバーになることを勧める作品とも言える)、このメチャクチャさ加減にヤラれました。何しろこの「頭の毛剃九右衛門」の大味で大雑把なカンジが、団十郎(海老蔵のお父さん)にピッタリ!で、かなり面白かったです。ちなみに、帰宅してから何となく、腕の毛を剃りました(サブリミナル効果)。






2009/05/15

放蕩娘式!歌舞伎鑑賞法 


01;「快楽」を得るためには、まずは「謎」が必要、の法則


一般にですが、歌舞伎って、「あるていど知識がないとわからないもの」・・・って、思われていますよね? 入門書などを見ると、聞きなれないコトバや、呪文みたいなタイトルが、ズラ~~っと並んでいて、「歌舞伎を見るならこれくらい知っておかないと! そうじゃなきゃ見る資格ナシ!!!」と言われているような気がして、ちょっと「しゅん」とさせられたりして(笑)。



でも、本当にそうなのかなーって思うのです。私の経験からすると、あらかじめ歌舞伎についていろんな本を読んで勉強して「たいていのことだったら、理解できるわよ!」なパーフェクト状態で歌舞伎を見に行っちゃうと、「アレ・・・?」って思うくらいつまらない、ということがあるんですよ。

ちなみに、それが映画だったらどうでしょうか? その映画のストーリーや成り立ち、監督や役者のプロフィール、ロケ地情報、そもそも映画という芸術の仕組み、そんなことを頭にぎっしり詰め込んでから映画を見たら・・・、意外でも何でもなく、かなりつまらなくないでしょうか? 

もちろん、その映画がすばらしい作品だった場合、その映画のストーリーや裏情報、映画という芸術の仕組みなどを知っていることによって、同じ作品を、また別の違った視点から味わえたり、さらに抽象度を上げた地点から解釈できたりします。私も、デヴィッド・リンチの『ワイルド・アット・ハート』とか、ビリー・ワイルダーの『ねぇ!キスしてよ』とか、五社英雄の『鬼龍院花子の生涯』とか、「一体、何回見れば気が済むんだ?」ってくらい見てますから。



でも、普通だったらやっぱり、「何の前知識もなく見に行ったら相当おもしろかった!」 という興奮を味わいたいですよね? だって、どんなに再見に値するほどおもしろい映画でも、一番最初に見たときは、「何の前知識もなく見に行ったらすごくおもしろかった!」という、アクティヴでヴィヴィッドな体験だったわけですから。

というか、むしろ、そういう「何の前知識もなく見に行ったら相当おもしろかった!」という、とってもアクティヴでヴィヴィッドな体験だったからこそ、何度も見ることができるくらいその作品のとりこになってしまった、っていうのが真相ではないでしょうか?



人間関係にたとえてみると、もっとよくわかる気がします。たとえば、ある人に関して、この人はコレコレこういう人ですよ、という知識があらかじめ与えられていたとする。で、実際にその人に会ってみると、前知識どおりの人だった、と。・・・でもそれって、何の興奮もないですよね・・・。

それよりも、何の前知識もなくて「一体、この人は、どういう人なんだろう?」と思いつつも、いろいろ話してみたら、「相当おもしろい人だった!」っていうほうが、よっぽど楽しいし、嬉しい。もちろん、前知識を与えられていても、実際に会ってみたら「前知識はガセネタで、実際は全然違う人だった!」とか、「前知識とは違う、相当おもしろい部分を発見した!」ということもありますけど(笑)。



そんなわけなので、あまり「勉強しなければダメ」「知識がないとわからない」なんて思わないで、自分の感性に自信をもって、感性を全オープンにすれば、現代に生きる私たちにとっても歌舞伎は充分おもしろいのになぁ、と思うことしきりなのです。

知識なんて、後からいくらでも頭に入れられますから! というか、歌舞伎って、「なんでそうなるんだ?」「それってアリ?!」「それはどう考えてもヘンでしょ!」っていう「」に満ちているので、いずれは自分で確認したくなるものなんですよね、結局。で、「あ、こういう歌舞伎ルールがあるから、ああいう展開になるわけね~、なるほど!」と、「納得」する快感を味わえるわけです。

こういう「謎」と「納得」のセットって、「快楽」の基本、ですよね。

そうなのです。「快楽」を得るためには、まずは「謎」が必要、なのです。最初から「謎」をすっ飛ばして、「快楽」を得ようとしても、たいした「快楽」は得られません

そう、焦ると損。歌舞伎も同じなのです、人間関係や恋愛と(笑)。


2009/05/13

2009年5月 歌舞伎座 昼の部プログラム



一、歌舞伎十八番の内暫(しばらく) 大薩摩連中

鎌倉権五郎景政    海老蔵
鹿島入道震斎(鯰)     翫 雀
那須九郎の妹・照葉(女鯰)  扇 雀
成田五郎    権十郎
東金太郎    市 蔵
足柄左衛門    亀 蔵
荏原八郎    男女蔵
埴生五郎    亀三郎
小金丸    巳之助
大江正広    萬太郎
加茂三郎    亀 寿
局常盤木    右之助
家老宝木蔵人    家 橘
月岡息女桂の前    門之助
加茂次郎    友右衛門
清原武衡    左團次

大薩摩   鳥羽屋長孝 鳥羽屋長秀 

【初演データ】
現行のものは、明治28年(1895)、歌舞伎座、9代目市川團十郎


二、『寿猩々(ことぶきしょうじょう)』 竹本連中

猩々        富十郎              
酒売り 高風    魁 春

振付:8代目坂東三津五郎
作曲:野澤松之輔

【初演データ】
昭和21年
 

   『手習子(てならいこ)』 長唄囃子連中

娘 おえい    芝 翫

作詞・作曲:初世 杵屋正次郎

【初演データ】
寛政4年(1792)、4代目岩井半四郎による、七変化舞踊『杜若七重の染衣(かおよばなななえのそめぎぬ)』のひとつ。現行のものは、嘉永元年(1848)上演のものによる。


三、盲長屋梅加賀鳶めくらながや うめが かがとび
   加賀鳶(かがとび)

   本郷木戸前勢揃いより  赤門捕物まで

天神町梅吉/ 按摩 竹垣道玄    菊五郎
女按摩お兼    時 蔵
春木町巳之助    三津五郎
魁勇次     松緑
昼ッ子尾之吉    菊之助
虎屋竹五郎    海老蔵
お朝     梅枝
御神輿弥太郎    團蔵
道玄女房おせつ    東 蔵
伊勢屋与兵衛    彦三郎
雷五郎次    左團次
日蔭町松蔵    梅玉

作:河竹黙阿弥

【初演データ】
明治19年(1886)、5代目尾上菊五郎(梅吉・道玄)


四、『戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)』 常磐津連中

浪花の次郎作   松緑
吾妻の与四郎   菊之助
禿(かむろ)たより 尾上右近

浄瑠璃  常磐津一巴太夫 ほか

作詞:初世 桜田治助
作曲:初世 鳥羽屋里長

【初演データ】
天明8年(1788)、初代中村仲蔵(次郎作)・4代目松本幸四郎(与四郎)による、顔見世狂言『唐相撲花江戸方(とうずもうはなのえどかた)』2幕目の所作事。


2009/02/22

ご挨拶。


とにかく、いつも思うのは、「カブキって、豪華絢爛で、荒唐無稽で、奇天烈奇妙で、今の日本ではあり得ないくらいとんでもなくオモシロいもの。なのに、そういう見方はあまりされなくて、上品で高尚な伝統芸能という一面しか強調されないのは、もったいなすぎる!!!」ということ。


そんな「歌舞伎って、なんてtoo muchで、なんてlovelyなんだろう!」、という思いをぶつける場所がほしいね~、という話を、仲良しのイラストレーターのコダカナナホさんとしておりまして。「だったらサイト作っちゃおうか!」ということになり、さっそくKABUKI ! TOO MUCH ! LOVE ! LOVE !」を作ってみました。

歌舞伎を見ることで沸いたインスピレーションを、コダカナナホさんはイラスト作品にし、私はレヴューやエッセイにまとめる、という形でとりあえずはスタートします。
試行錯誤しながら、また新しいコンテンツなども増やしていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします・・!


◆井嶋ナギ歌舞伎レビュー 『妄想と愛嬌のあいだで数時間。

◆コダカナナホ歌舞伎イラスト 『筆うつつ。歌舞伎、ピュアネスカラー!